柴田愛子のハートフルエッセイ
保育の理想と現実
初めての世界
なんか、臭い。誰か、うんち臭い。すれちがいざまに、たかしくんのズボンのおなかのゴムを引いてみると、中に大きなうんちが!え!これどうするの?誰がやるの?私?こんなことやったことないし……。とりあえず、トイレに連れて行ってパンツを脱がせ、手につかないようにうんちを便器に放り込み、着替えさせてから、パンツを洗い、石けんで自分の手をごしごし洗いました。
洗面所の前で吐いた子がいます。飲んだ牛乳が床に飛び散っています。やだー、汚いし、臭いし、どうするの!?誰もいません。私?
男子用トイレで男の子が立ちションをしています。ところが、おしっこはすべて足を伝って下に……。見ると、おちんちんが前に向かっていない。足にくっついているんです。え?どうするの?自分でつまんでよー。私?見かねておちんちんをつまみ、前におしっこが出るように支えました。笑い話のようですが、私には衝撃的なできごとでした。
そのほかにも掃除に洗濯、お便り作り。保育者の仕事をあげたらきりがありません。「幼稚園の先生って、こんなことまでするの?」。これが保育者になった当時の私の正直な感想でした。
「幼稚園の先生になりたい」という思いで、夜間の幼児教育専門学校に入ったのは20歳のとき。昼間は幼稚園で働くことにし、主任先生が担任している3歳児のクラスの助手になりました。
お世話を焼くのが仕事?などと思っているうちになついてくる子どもたちが日に日にかわいく思えてきました。そして、慣れというのはすごいです。うんちもおしっこもゲーも、平気で始末できるようになるのですから。
文/柴田愛子 撮影協力/りんごの木(神奈川県)
写真/磯﨑威志(Focus & Graph Studio) 柏原真己
編集/森 麻子