髙梨智樹さん登場!
PriPri パレットInstagramライブ その2 ~全3回~
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【源嶋】 その保育園時代についてなんですけれども、あまり毎日園に通えなかったということですが、この砂あそびのお話のほかに、何か良い思い出、または、ちょっとつらかった思い出があればお聞かせいただけますか?
【髙梨智樹】 幼稚園、保育園の頃というのはあまり覚えていないというのが正直なところですけれども、例えば僕の勝手な今の、今から思い返せばという話ですけれども、本当に元気なときはすごく元気なんですね。 ただ、具合が悪くなってしまうと、本当に具合が悪くて何もできないというのがあって、そのときはまだ周りと比べるとかはしていなかったのですけれども、やっぱりそれでも、みんなこっちの教室にいるのに、自分だけ早退していくとか、保育園に行けないというのもちょっとなというのも何となくはありましたね。 それで、やっぱり同じクラスの人たちと一緒に遊ぶということはあまりしなかったので、それで、砂あそびが1人でできるし、自分の思ったいろいろな形にもできますので、そういうのが好きだったというのが多分あると思います。 【源嶋】 保育園時代で、「砂あそび、地球の裏側まで掘ろう」と先生から言ってもらったということでしたけれども、何か、もし自分が当時に戻れたとして、困ったなとか、ちょっとつらいな、助けてほしいなと思ったときに、「助けて」と言いやすい園の先生ってどんな先生だろうと思われますか? 【髙梨さん】 よく自分の話を聞いてくれる先生というような、特定の先生がいるので、そういう先生にはすごい話しやすかったなと思います。僕の行っていた保育園は結構いろいろな先生がいらっしゃったのですけれども、すごい話しやすいいい方たちばかりで、今思い返しても話しやすかったなと思います。 【源嶋】 話しやすい雰囲気とか、ふだんから智樹さんをよく見ていらっしゃるとか、そういった先生の姿勢を子ども時代の智樹さんがやっぱりしっかり感じていらして、何かあったら先生を頼りにされるという感じだったのですかね。 【髙梨さん】 そうですね。 【源嶋】 一方で、保育園時代ですとか、小学校の頃困っていたときに、先生からこんな声かけや、助けがあったらよかったなと思うことはありますか? 【髙梨さん】 例えば、声がけというよりも、こっちが「助けて」と言ったときに、例えば「具合が悪い」と言ったときに、何かちょっと面倒くさそうな感じになるじゃないですか、絶対。例えば30人とかのクラスの中で1人「具合が悪いです」と言ったら、先生も困るし、しようがないとは思うんですけれども、やっぱりそこで先生に対して面倒くさいことを自分でお願いしていると思うと、次のときもぎりぎりまで言えなくて、吐く寸前で言うみたいな、そういうのはありましたね。 【源嶋】 智樹さん、子どもながらに先生の表情だったり、今はクラス活動だしな、みたいな場の空気もきっと読み取って、ぎりぎりまで我慢されたのですかね。 【髙梨さん】 そうですね。やっぱり雰囲気的に何となく、別に言葉で言われるわけじゃないけれども、同じ生徒にもそういう雰囲気だし、先生からもそういう雰囲気を感じ取ると、「うーん…」というのはちょっとありましたね。 【源嶋】 そうですか。ありがとうございます。 保育園から進んで、小学校に入ってからの話ですけれども、転機が小学校5年生のときだったと取材のときにおっしゃられていました。そのときの担任の先生が「もしかしたら学習障害なんじゃないか」と気づいてくださったということでしたよね。 周期性嘔吐症を患われていて、コンスタントに学校に通えていないという背景があったために、学習の遅れはそれによるものじゃないかとお母様も思われていた、勘違いしていたというところでしたけれども、担任の先生が気づいてくださったときは、ご家族や智樹さん自身の受け止めってどんな感じでしたか? 【髙梨さん】 小学校のときの先生、5年生のときの先生ですけれども、僕に直接学習障害があるんじゃないかと言ったわけではないですね。家族にも言われていないですね。ただ、先生自体は疑いを持って接していたというところです。普通に授業をしている中では、正直教科書もよく見ていないし、ノートも取っていない、勉強のできない生徒だと見えるのですけれども、じゃ、いざテストするときに、自分で書けといったら全然できない。でも、先生が問題を読んでみて、口頭で答えるのはできるというのがやっぱり引っかかったところがあったみたいです。そういうやり方を試してもらったりとか、例えば、文章が読みづらいので、物差しで行ごとに区切ってみたりとか、そういうことをちょっとやってみたりすると、前より進みがいいよねというのは、そのときやっていただいて、すごい助かりましたね。 【源嶋】 行ごとに定規で隠すとか、テストのときに智樹さんのそばで問題文を読み上げるというのは、やっぱり担任の先生が学習障害に関する知識をお持ちだったからこそ「あっ、ちょっと対応を変えてみようかな」と思い至られて、その対応を変えられたときのテストの点数の違いや、智樹さんの理解度の違いというところから、「もしかして?」と思われたということですよね。 【髙梨さん】 多分そうだと思います。 【源嶋】 そう思いますと、やはり先生が「もしかして?」 と思われるための知識をある程度蓄えていらっしゃるというのは、すごく子どもにとってもありがたいといいますか、そこでお子さんへの配慮が変わるきっかけになるのかなと思いますね。 【髙梨さん】 多分これじゃないかというタイミングが実はあって、僕が学校の勉強というのはほとんどできないのですけれども、その代わりに、例えば電車が好きとか消防車が好きみたいのがあるんですね。その中で、ヘリコプターが僕、好きなんですけれども、ヘリコプターが飛んできた音でヘリコプターの形というか機種が分かるみたいな特技があるんですけれども、そういうところがちょっとヒントになったみたいなことを言っていて。ちゃんと頭はいいけれども、でも、学習の仕方に問題があるんじゃないかとか、そういうところで気づかれたみたいですね。 【源嶋】 もともと学習障害に対する知識をお持ちというのもありますが、智樹さんのことを本当によく見てくださっていた先生ですね。そういうちょっとしたところで気づいてくださるというのは。 【髙梨さん】 そうです。 【源嶋】 パレットの読者の方からちょっと質問をいただいているのですけれども、読み書きについて、テストで先生が読み上げたらば解けるというお話がありましたが、小学校に上がる前の段階で、この読み書きについて何か困ったところはありましたか? 例えば絵本だったりとか、あと、年長さんぐらいになると、少し鉛筆を握ったりとかするじゃないですか。 【髙梨さん】 ありますね。 【源嶋】 例えば就学前、保育園時代に読み書きで困った面があったらば。 【髙梨さん】 これはすごいよく覚えていますけれども、保育園時代って、年に1回だか半年に1回だか、特定の絵本をもらうんですね。年齢が上がるにつれて合わせた本がもらえるんですけれども、その本を1回も開いたことがないんですよ。というのは、その本がどんどん積み重なっていくんですけれども、結局その本を使ったりというのは、例えば、じゃ、プラレールであそぶというときに、ちょっと段差にしてみたりとか、そういう使い方だったんです。本を読むということをしなかったんですね。 これは、絵本は自分で読むものじゃなくて、先生が読み聞かせするものだとずっと思っていたんですよ。自分で広げて読めないし、読まない。読む気力もなかったので、そういうところは、やっぱり今思うと、ああ、もしかしたらというところはありますし、あとは、年長さんで平仮名というか、ふわっとした学習みたいなことをしたんですけれども、それは本当にすごいつらかったというのは覚えています。 いいのか悪いのかどっちか分からないですけれども、例えば何ページから何ページまで終わったら、じゃ、あそべますよみたいな、そういうようなやり方だったんですね。なので、例えば速い子は10分、15分で終わる人もいれば、僕なんか、最後まであそびに行けないので、そういう、みんなどんどんあそびに行くのに、自分は全然進んでいなくて、遅れているなというのは、すごいつらさはありましたね。 【源嶋】 そうでしたか。 ましてや、周期性嘔吐症で毎日通えない中で、やっと通えた園でそういうご経験があったのだとしたらば、おつらかったですね。 【髙梨さん】 やっぱりつらかったですね。 【源嶋】 そんなつらい経験まで話していただきまして、ありがとうございます。 【髙梨さん】 いえいえ。 【源嶋】 ありがとうございます。 小学校5年生のときに、担任の先生に学習障害に気づいてもらったということでしたけれども、その後、小学校から中学校に行くタイミングで、一旦公立の中学校に入られたけれども、その後、智樹さんの御自身の希望で特別支援学校に進学をされましたよね。 【髙梨さん】 そうですね。 【源嶋】 そのときの進路変更の過程のお話を伺ってもいいですか。 【髙梨さん】 まず、これはすごい複雑ですけれども、小学校のときの教頭先生をやっていた方というのが、養護学校(※現在の特別支援学校)で働いていたというか教員をやっていた方で、普通校に来た方ですけれども、その方に養護学校の存在、病弱級というところを教えていただいて、小学校のときから実は少しちょこちょこ行っていたんですね。見学というか話を聞いたりとか、僕はあそびぐらいの気持ちでしたけれども、そこは裏で父親と母親が動いていたみたいな感じですけれども、僕としては、やっぱり普通の中学に行くという気持ちももちろんありました。けれども、体調面、今までの小学校の具合を見て、やっぱりきついんじゃないかなというところは感じていたりとかはありました。 地元の中学校に例えば行くのであれば、別室をつくるとか、専用教室をつくるみたいな話はあったのですけれども、小学校のときに、例えば車椅子があるとか、そういう方がそういう別室みたいになっていたんですけれども、やっぱり普通のクラスにいる人からは、ちょっと違う目で見られていたので、そういうふうに自分はなりたくないなというのがあったんですね。 なので、僕にとって、別のクラスをつくるというのは半端なことだったんですね。入るなら普通のクラスに入りたい。入らないんだったら養護学校へ行きたいみたいな、そういうような線引きをしていたので、最初の中学校1年生の部分というのは、地元の中学校に籍を置きながら、入院というか養護学校に別で通うみたいな、今だけ通うよみたいな、そういうようなくくりでやっていました。1年間、1日2時間で、教科は国語、英語、数学しかないような時間を過ごしていました。なので、朝に行って、もうお昼には帰ってくるような生活をしている中で、これは自分にとってもよくないし、どうせ「元の中学校に1か月に1回行きなさい」とか言われても、すごいつらかったので、それは自分にとってよくないことだし、負担にすごいなるので、だったら普通の学校は辞めて、養護学校に行きたいというふうな判断になったんです。 判断になったのは、それはどのくらいですかね。通って一、二か月とか早い段階でなんですけれども、結果的には1年間そういうような状態が続いてしまった。養護学校にはなかなか入れてもらえなかったような状況ですね。 【源嶋】 特別支援学校に進学されて、やっぱりこっちに来てよかったなと感じること、メリットといいますか、選んでよかったと思われるような体験ってございますか? 【髙梨さん】 例えば養護学校へ行っているときで、もちろん生徒数も少ないし、来ている生徒もやっぱりそれなりのものを抱えてきているので、それはハード面というか、手がないみたいなのもあれば、心のものとか……。 【源嶋】 身体的にね。 【髙梨さん】 そう、身体的なものもあれば内面的なものもあるので、例えば、朝から学校がやっていても、お昼から学校へ行っても誰も理由を聞かないんですよ。「何で今日お昼から来たの?」と。それって絶対普通校だと、「何で来たの?」とかなるじゃないですか。そういうところがやっぱり、本当にちょっとですけれども、ありがたいなというのと、あと、授業も先生と1対1で基本受けるので、例えば体調が悪いといっても、すぐ先生に言って、例えばクラスを止めて保健室まで連れて行ってもらうとかがないんですよ。そのまま授業は終わりで、次始まったらそこからなので、授業が遅れるということもないんですね。そういうところはやっぱり一番楽というか、自分的にはよかったですね。 【源嶋】 ありがとうございます。 特別支援学校に中学で移られて、その後、高校は授業数が少ない定時制の学校を選ばれて進まれたんですよね。 【髙梨さん】 そうですね。 【源嶋】 それもまた理由があったわけですかね。 【髙梨さん】 まず、ここも中学校の話なのですけれども、普通の地元の中学校というのは制服があったんですね。養護学校は制服がなくて、普通のふだん着で大丈夫だったのですけれども、そういうのを考えた中で、取りあえず高校に行くのに制服があると多分きついだろうなというのがちょっとあったので。僕はワイシャツとかが苦手なんです。首がぎゅーっと絞まるような。それだけで体調を崩しちゃったりとかがあるので。なので、その辺がなるべく自由に、例えば、変な話、寒かったら着ればいいし、暑かったら脱げばいいというようなことができる服装じゃないとなかなかつらいなというのがあったので、それで、まず制服がない高校。 なおかつ、授業数というか、授業時間が、普通は50分授業というのを45分の学校にしたいとか、いろいろ条件がある中で、自分のうちから学校が近くて、このぐらいの距離なら通えるだろうという高校がたまたまあった。それが定時制の高校で、45分授業を4コマやって、お昼で終わり。そこから2時間部活をして終わってもいいよというのを4年間やるというのがその学校のルールなんですけれども、それでも僕はいいかな、その学校に行かせていただいて、何とか卒業したというような形です。 【源嶋】 何か本当、進学のタイミングそれぞれで、智樹さん御自身で、「僕の体調はこうだから」とか、「僕の性質はこうだからこっちがいい」というのをしっかり判断して歩まれていらっしゃる印象を受けます。 【髙梨さん】 ありがとうございます。 あと、何か小ばなし的なことを言うと……。 【源嶋】 ぜひぜひ。 【髙梨さん】 例えば、行く高校が、厚木基地という自衛隊と米軍の飛行場があるんですけれども、あそこにすごい近いんですね。飛行機がいっぱい飛んだりするので、そういうのもちょっと自分の中では、これはやる気につながるかなとかあったりしたので、そういうところで選んだというのもありますね。 【源嶋】 ご自身を客観的に見ていらっしゃいますね。 【髙梨さん】 でも、幸せな4年間でしたね。 【源嶋】 すてきですね。そうやって振り返れるって一番ですね。 【髙梨さん】 ありがとうございます。 【源嶋】 ありがとうございます。 ここまで学校の歩みに沿ってお話を伺ってきました。ちょっと視点を変えまして、学生時代に東大の先端研の先生との出会いがあって、智樹さんの中で、支援というのは求めていいものなんだと固定概念が崩されたというお話をされていましたよね。何かそのときのエピソードをお伺いしてもいいですか。 【髙梨さん】 東大のその先端研の先生に聞いて、あっ、これはそうだなと思ったのが、例えば、今まで、人の話を聞いて、普通はペンで書いてメモを取りますというのを僕はできなかったんですね。なので、一生懸命覚えるということしかできなかったんですけれども、その先生が言うには、例えばそれは録音したっていいし、動画でもいいというような話を聞いて、あっ、そういう使い方っていいんだなと。例えば黒板を見るのも、ペンで書くのができないので、写真でもいいよとか、そういうところがやっぱり今までの固定概念が全部崩れたような形ですね。そのきっかけをいただいたのはすごいありがたかったです。あと自分が思っていることというのは伝えなきゃ伝わらないというのは当たり前ですけれども、相手は読み書き障害じゃない。僕は読み書き障害。どうしたらいいのかとか、どういうふうに見えているのかというのを分かりやすく説明する、というのがすごく効果的というのを聞いて、それで、自分なりにこうだろうな、ああだろうなというのを研究して説明しています。すると、やっぱりそのほうが相手も分かりやすいので。 例えば、代筆も「こういう理由です」と言えばオーケーとか、これは駄目だよね、これはいいよねという判断が前よりもよくできるようになっていますね。 【源嶋】 取材のときに伺ったお話でとても印象的だったのが、読み書き障害がある髙梨さんと読み書き障害がない方が一緒に理解し合うというところで、コンビニで宅配便を出すときにラベルを書いてもらう話をしてくださったんですけれども、私、それがすごく印象的で。ぜひここでもう一度お聞かせいただけると。 【髙梨さん】 どんな話だったかなというのがちょっとあって、そういう話が何個かあるんですよ。 【源嶋】 そうなんですね! 【髙梨さん】 書いてもらう系の話はいろいろな種類があって、例えば本当に「読み書き障害です」と言って書いてもらうパターン。「すみません、識字障害」と言うパターンが少ないんですけれどもあるんですね。 ほとんどの場合、僕が通しているのは、「手をけがしていて」とか、「ちょっと手が不自由で」とかと言って書いてもらうんですよ。 というのは、なかなか障害と言うと、「んっ?」となるんですね。もう一回聞き直されたりとかするんですけれども、ちょっとそれは面倒くさいと。でも、「手をけがしているです」とか、「今、手が不自由です」と言うと、「ああ、それは大変ですね。じゃ、書きますよ」となるんですね。 そういうのを駆使して、例えば、僕、運転免許も持っているんですけれども、運転免許の更新のときに名前を書かなきゃいけないんですね。でも、その更新で書くのが大変なので、手に包帯を巻いていって、免許証を渡して、これどおり書いてくださいと言えば、お巡りさん、書いてくれますので、そうやったりとかという工夫をして、なるべく書いているような感じです。
【源嶋】 その、手に包帯を巻いて書いていただいたという話を聞いて、何だろう。相手が自分のことを理解できない場合もある。そのときに、お互いが気分を害さず、しっかり納得して書いてもらうために、ちゃんと分かりやすい伝え方は何だろうと考えて手に包帯を巻かれたというのが、あっ、そういう考え方もあるのかと、私、そのときに驚いて。 【髙梨さん】 これは最近思いついてやっているのですけれども、包帯って手に巻くのが面倒くさいじゃないですか。ぐるぐる巻くのが面倒くさいので、運転手さんがするような白い手袋をするという簡単な技を見つけて、それを最近やっています。なので、新しい方には手袋のほうがいいよと勧めています。 【源嶋】 ありがとうございます。 【髙梨さん】 ありがとうございます。 【源嶋】 ちょっとコメントも来ているので、読ませていただきますね。 【髙梨さん】 お願いします。 【源嶋】 学生生活のお話で、「幸せな4年間ですね、いいですね」ですとか、「とてもご自身のことをしっかりと理解されて、そして、しっかり考えて進むべき道を歩んでこられたんですね」「中学生などのときにその考え方、すばらしいですね」という声をいただいております。ありがとうございます。 【髙梨さん】 ありがとうございます。 当時はそれしか考えられなかったというか、僕の考え方は、当時一番いい選択肢をするってすると、後悔がないんですね。あのとき、例えば悩んだ結果、それにしたというので、納得がいっていないと、ああ、やっぱりこっちにしておけばよかったとなるので、それが自分の納得いく結果で、そのとき自分が選んだんだと思うと、そのときはそれしかなかったよねと思えるので、あのときこうすればよかったなみたいのは少ないですね。 【源嶋】 すごい。しっかり前を見て決めていらっしゃる感じが伝わってきます。 【髙梨さん】 ありがとうございます。 【源嶋】 ありがとうございます。
その他の動画はこちら▼ ※その3は、9/24(金)19:00頃公開予定です。
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